「さよならの朝に約束の花を飾ろう」を見て

  まず、これはさよ朝を初めて見た2ヶ月くらい前の文です。なぜこれを公開する気になったかというと、さよ朝をたくさんの人に知ってもらうには、こういうところがすごいよ!って紹介するよりも、この作品を見て自分がどのように感じたかを知ってもらう方が興味を持ってもらえると思ったからです。私を知らない人からは誰だよこいつってなるかも知れませんが、それでも1人の人間の感想として、あまり長くはないと思いますのでお時間があれば読んで頂けると嬉しいです。


 

 岡田麿里さん監督の「さよならの朝に約束の花を飾ろう」を見ました。前々から話題になっていて、レンタルビデオで安くなったら借りようと思って上映してから半年くらいたった今になってやっと見たんですが、なぜもっとはやく見なかったのかをすごく後悔しました。そして、お世辞とかではなく本当に人生で一番泣きました。自慢ではないですが、昔から何かの作品を見て感心はすれど、「感動」することはなかったです。むしろ今まではすごいなあ、とかきれいだなあとかいう感心の思いを感動だと勘違いしていました。もちろん人によって感動の価値観は違うのでこれは個人の見解にすぎないのですが、それでもこの作品で生まれて初めて私は「感動」しました。

 

 自分がどうして感動したのか、どの場面で感動したのかなどはわからない。全部だろと言われればまあその通りなのですが、その全部の一言だけではこの感動を表せない、むしろ全部以上にたくさんのものを感じたのかもしれない。

 

 この作品のテーマの一つでもある「別れ」に関してだが、これは一番私の考え方が変化した部分でもある。子供のころから人付き合いがあまり得意じゃなく、その理由の一つとして、何かの拍子で絶交になったり別れるときにあまり悲しくならないようにするためというのもあった。現に今も、大学では知り合いはいっぱいいてもあまり人と深くは関わっていないという気がする。勉強自体は1人でもできるし1人でいて困った経験があまりなかったから。おそらく私がいままでしていたことも小説やマンガなどをまねしただけの友人ごっこだったのかもしれない。しかし、この作品をみて、誰かと出会いその人と過ごした経験はたとえそれが短い時間だったとしても自分にとってかけがえのない大切な宝物になっていることに気づいた。それがごっこでも見かけだけの関係でもいい。今まで会ってきた全ての人たちとの記憶がこの世に2つとない自分だけの大事なものだったんだ。

 

 明日からどういう気持ちで生きていけばいいんだ。どういう思いでみんなに接していいのかがわからなくなった。今までたくさんの人にいろんなものをもらってきたのに、自分はこうしてぐうたらに動画をみたりネットサーフィンをしていたりいわば、怠けている。決心がついた。もう寄り道するのはやめよう。今まで自分に正直でいられなかった。本当にこのままでじぶんはいいのか。もっと他にやりたいことがあったんじゃないか。お前のその気持ちはそれを捨てて安定の不変の道を選んでしまうほどちっぽけなものだったのか。自分の正直なきもちにこたえたい。そしてたくさんの人と出会いひとりひとちとの時間を大切に生きてきたい。今のこの時間は今にしかないし、過去にも現在にもない。しない後悔よりもして後悔したほうがいい。